(番外編)教員の早期退職について一言

ここ数年で、これほど怒りを感じたことはなかったので、どうしても書きたくなり、ここに自分の意見を書かせてもらいます。2ヶ月ぶりの更新がマンガにもアニメにも海外にも関係ない内容になってしまい、普段の記事のファンの方には申し訳なく思いますが、ご容赦ください。また近いうちに海外のマンガの話をします。

旬を過ぎてしまいましたが、先月、教員の早期退職がさんざん話題になりました。私もかなり興味を持って報道を見ていました。色々な意見があるのは、もちろん憲法で思想良心の自由が保障されているので構わないのですが、各教員を批判するのは、私にはお門違いだと思えてなりません。

報道でご存知の通り、埼玉県、愛知県などで、退職金削減が2月1日から思考され、平均で140万程度も退職金が減ることになり、それを避けるために早期退職する教員が相次ぎました。


↑今回の状況(『真相報道バンキシャ!』1月27日)

これについて、下村博文文部科学相は、「責任ある立場の先生は最後まで誇りを持って仕事を全うしてもらいたい。許されないことだ」などと述べていますし、埼玉県知事や愛知県知事も、ほぼ同内容の発言をしていました。これは、言い換えれば退職した教員は責任や誇りを失っているということだと思います。


↑教員を「無責任」と非難する埼玉知事(東京新聞)


↑愛知県知事(『ワイド!スクランブル』1月25日)


「先生が、子供ではなく金を取った」

このような報道が相次ぎました。産経新聞のこの記事では、「生徒の存在を無視した駆け込み退職」などと書かれていますし、1月27日の『真相報道バンキシャ!』という番組では、昭和女子大学学長の坂東眞理子氏が、教師の早期退職を「本当に恥ずかしい」と発言し、「敵前逃亡」とか「武士は食わねど高楊枝というか、不利益を被ってもやるべきことをやるというのが誇りの源ではなかったのか」と批判していました。やはり、これは辞めた教師が「恥知らず」であり、「誇りを失っている」ということを意味しているのだと思います。私は見ていませんが、どこかの番組で尾木ママという人が、教師の駆け込み退職を「教育犯罪」とまで呼んだそうです。


↑「教育者として(今回の件を)いかがお考えでしょうか?」と聞かれ、
「教育者としては、本当に恥ずかしいと思いますね」と強く批判した坂東氏。
彼女の発言に対する怒りが、今回の記事を執筆する直接的な動機になりました。
(『真相報道バンキシャ!』1月27日)

しかし、考えてみてください。本当に生徒の存在を無視し、子供よりも金を取ったのは誰ですか? 本当に無責任なのは誰ですか?

私は、それは教員ではなく行政であると断言します。行政が、教師の人生設計も、子供たちのことも無視し、歳出を削減するために、4月1日からではなく、2月から前倒しで退職金削減を実行したのです。退職金削減を4月1日から施行する地方自治体もありますので、そうやってもなんら問題ないはずなのですが、歳出削減の為に2月から実施しているのです。

行政の歳出削減は、財政状況を考えたら必要かもしれません。来年以降は仕方がないことでしょう。しかし、この十分な周知期間をおかず、年度の途中で突然実施した行政の責任はどうなるのでしょうか。

結果、今年度退職する教員は最後まで働いた場合、1月31日付けで辞めた場合に比べ、最終的な収入が100万近く、人によっては100万以上減ることになります。結果だけ見れば、100万減収の上、2ヶ月間ただ働きをするのと変わらないことになります。

普通の会社であれば、このような状況であれば早期退職が相次ぐのは当たり前でしょう。にもかかわらず、行政はなぜこのようなことを実施したのでしょうか。それは、下村文科相や、坂東眞理子の発言からもわかります。「先生は、子供がかわいいから、退職金が減らされても辞めないだろう」と高を括っていたのです。そして減収を避けるため早期退職した教員を「誇りを失っている」と批判しているのです。

これは、行政が子供を人質にとったことを意味します。「お前が辞めたら、生徒はどうなっちゃうのかなぁ?」と教師を脅迫し、100万の身代金と2ヶ月間の無給労働を要求しているに他なりません。人として、誇りを失った卑劣な行為をしているのは、教員ではなく行政です。行政という圧倒的な立場から行ったパワハラです。

この時期に辞めたい教師など、普通いません。最後の最後まで、生徒に関わっていたいと思うのが当然の気持ちです。しかし、それでも、ローンなど各自が抱えている問題があり、断腸の思いで、辞職された人がほとんどではないかと思います。自らの利益を追求する、これは、教員とか公務員とか以前の、一労働者として当然の権利です。

にも関わらず、行政は子供を人質にとり、教員の労働者としての権利を踏みにじったのです。先ほど紹介した産経新聞など、各教員を批判したメディアも同様です。

私は今回、埼玉県庁、愛知県庁には政策撤回懇願の電話をしましたが、もちろん撤回されることはありませんでした。また、先に引用した昭和女子大学長坂東氏の発言について、私は撤回してもらうよう、昭和女子大学と日本テレビの両方に電話で申し入れましたが、最終的に撤回の意思はないとの返事をもらいました。確かに坂東氏はこのような事態を引き起こした行政についても「残念だ」と発言していましたが、それでも「敵前逃亡」という言葉を使い、「本当に恥ずかしいことだ」と批判し、辞めた方々が教師としての誇りを失っていると取れる内容の発言をしたことについては、どうしても容認できません。

今回、辞めた教師の方々も、辞めなかった方々も、相当な葛藤を持っていたことと思います。繰り返しになりますが、この時期に辞めたい教員など普通いません。辞めた方のほとんどは、本当は辞めたくなかったはずです。「残り2ヶ月、ボランティアでいいから続けさせてくれ」と涙ながらに訴えていた人もテレビで見ました。

子供を人質にとった行政の卑劣さには言及せず、教育者としての誇りに疑問を投げかけ、各教員を「生徒の存在を無視」して「敵前逃亡」した卑怯者のように批判していた方々は、果たして「自分がその立場だったら」と考えて発言されていたのでしょうか。同様に軍に例えるのであれば、彼らの行為は、決して撃たれることのない安全圏にいる銃後の人間が、前線で戦い続けた兵士が自らの労働者としての権利を守るために起したあくまで合法的な行為を、卑怯だと罵っているに他なりません。それこそ卑怯ではないでしょうか。

行政という圧倒的な存在が仕掛けてきたパワハラに対し、個々の労働者が自衛の為に起した行為は、果たしてそのような批判の対象となるべきものなのでしょうか。これを「無責任」と呼ぶ愛知県や埼玉県の知事は、実行者の責任として、今回退職する公務員と同様、100万の給料返還と、2ヶ月のただ働きを自ら行い、公僕の手本を見せるべきでしょう。歳出削減の為に行ったことなのですから、まず長たる知事が率先して公僕のあるべき姿を示すべきであり、それが出来ないのであれば、知事こそ無責任とそしられるべきでしょう。

「先生が子供よりも金をとった」などと非難する前に、まず「子供を取るか金を取るか」という選択を迫った行政の責任を考えて欲しいと思います。この現代の踏み絵とでも呼ぶべき卑怯な選択を迫った行政に、まず怒りをぶつけてもらいたいです。今回の件で、児童生徒はもちろんのこと被害者ですが、辞めた教員の方々も辞めなかった教員の方々も、同様に行政の被害者なのです。子供を人質にとり、踏み絵を行い、教師の誇りも生活も、子供の権利をも踏みにじった真の卑怯者は誰なのか、考えてみてください。

そして、付け加えになりますが、今回教職を「聖職」と呼び、不利を被ってでも生徒に尽くすのが教員だという発言も、メディアで多々見ました。確かに、人を育てる立場ですから、損得勘定ではなく、一人ひとりの生徒に誠意を持って向かい合うのが教員のあるべき姿であると思います。しかし、「聖職」だとか「不利を被ってでも」だとかの考えが、どれだけ教師を苦しめているか、考えたことがあるのでしょうか。

公立学校の教員採用試験はかなりの難関です。大学で4年間勉強して教員免許を取得し、難関の試験を潜り抜けてようやく教壇に立てたにもかかわらず、毎年数百人の新任教員が1年で職を辞しており、そのうちの3割は精神疾患によるものです。通常業務に加え、授業後は部活動があり、翌日の教材作りのため連日遅くまで居残り、運動部なら土日も部活動で出勤ということは珍しくありません。無論、残業手当はありませんが、どんなに過度な労働であろうと、「聖職」であり、生徒の模範たるべき教員が、弱音を吐くことは許されません。

教育の質の高さに定評があり、PISAと呼ばれる国際学力調査で毎年上位に来るフィンランドの教育事情の特集をNHKで見たことがありますが(たしか『クローズアップ現代』)、フィンランドでは1クラスの人数は日本の半分の20人程度ですし、そこに出演していたフィンランドの教師は、日本の教師が部活動までやらねばならないことに驚き、「もしフィンランドでそのような要請があれば、教師はみなストライキするだろう」という趣旨のことを話していたのを覚えています(※日本じゃ公務員はストライキできませんけれど)。




↑2003年と2006年のPISA調査。
この頃教育関係者の間ではフィンランドがめちゃくちゃ話題になりました。
予断ですが、最新の調査だと上海がトップ独占なんですが、
上海の教育はあんま話題になってません。何故?

個人の意見としては、日本における学校の部活動は非常に重要なポジションを占めており、教師がその指導にあたるのも少なからぬ異議があるとは思いますが、義務として教師にそれを求めるなら、他の業務を削ったり、部活手当てを出したりするべきでしょう。昨今、日本の教育の質の低下を問題視する声がありますが、教育の質を改善するならば、まず、「聖職」の名の下に教師に課せられている過剰な業務を見直すべきでしょう。

この度の教員の駆け込み退職問題については、「無責任」と非難されるべきは、個々の教員ではなく行政です。そして、教職を「聖職」と呼ぶことで過剰な労働を押し付け、今回のような行政の横暴による自己の不利益にも我慢を求めるような考え方も、改めていかねばならないと、私は考えております。

教師も労働者ですから、労働者として本来の契約に基づいた正当な対価を求め、正当な権利を行使するという考えが非難されるべきで無いと思いますし、まして今回は、雇用主である行政側の明らかな横暴です。

どうか、今回退職した教員の方々を非難しないでもらいたいと願います。その怒りは、教員ではなく、行政に対する抗議という形で表に出し、教育行政のあり方についてご一考いただくきっかけになれば、今回の事件も意義があったことになるのではないかと思います。

長々とマンガに関係ない話を失礼しました。次回からはまたマンガの話をします。

ではまた!

==コメントを受けての補足==

今回の件で、ここのコメント欄やマスコミなどを見て改めて感じたことは、問題の所在を勘違いされている方が少なくないのではないかということでした。ここで再度、今回の問題点を考えておきたいと思います。

今回、中には教員が「退職金が減らされたこと」に憤っていると思われている方もいらっしゃるかと思いますが、それだけは絶対的な間違いですので、誤解しないようにしていただきたです。もしも、退職金削減の決定が年度の頭であれば、誰も表立って文句は言わなかったことでしょう。頭でなくても、せめて半年前であれば、仮にその時点で辞めた場合、最終的な収入は最後まで勤め上げた場合よりも減ることになりますので、誰もが最後まで勤め上げたはずです。

しかし、今回は雇用主である行政が、退職金削減を急に行ったため、最後まで務めたら損をするという事態が発生したわけです。雇用主が急に退職金削減を行ったのだから、労働者が急に辞めることだって、当然権利として認められるべきです。雇用主と労働者は本来対等な関係のはずなんですから、当然ですよね。

にも関わらず、雇用主は労働者がその権利を行使することはないだろうと高をくくっていました。それは、行政は子供を人質にとっていたからです。「子供をとるか金を取るか」という卑劣な選択を迫るというパワハラを行ったのです。そして、パワハラによって今回の事態を引き起こした行政の無責任さは棚に上げ、退職した者には「無責任」との非難を浴びせました。これがどうして許せるでしょうか。

繰り返しになりますが、今回の問題は「退職金が減らされたこと」自体ではありません。この問題で、「民間ではボーナスカットも当たり前」だの「公務員は普段恵まれているんだから」だの言うことは、全く的外れと言わざるを得ません。今回の問題は雇用主によるパワハラです。民間とか公務員とかは、一切関係ない話です。

今回の件で、児童生徒やその保護者が先生に「最後までいて欲しかった」と思うのは当然の感情だと思います。子供たちは間違いなく被害者です。ですが、加害者は教師ではなく行政です。にも関わらず、厚顔無恥にも真の加害者である行政が、教師を加害者に仕立て上げ非難しているのです。このような理不尽がまかり通っていいはずがありません。

加害者は行政であり、児童生徒はもちろん、教師も「子供をとるか金を取るか」という卑劣な選択を迫られた被害者です。この状況で、教師を批判するのは、私には責任の所在がわかっていないように思えてなりません。特に、民間と比べてどうのという意見は、今回の問題点をまるでわかっていないと言わざるを得ないでしょう。

責任の所在がわかった上で教師を「無責任」と呼ぶ場合は、それは私が記事後半で提示した、教師という職業に対する考え方の問題になります。「聖職者」であるから、理不尽にも耐えろということだと思いますが、私はこの考え方もまた理不尽であると思います。だから、教師に理不尽を要求する、「教師」=「聖職者」という考え方は、正しく無いと考えています。聖職者であろうと無かろうと、教師は教師としての誇りを持っていると思いますし(他の職業でも、漫画家は漫画家の誇りを持っているでしょうし、農家は農家の、サラリーマンはサラリーマンの誇りを持っているはずです)、仕事の中には、耐えねばならない辛いこと、誇りがあるからこそ耐えられる辛いことはたくさんあると思います。しかし、行政(雇用主)による理不尽は、教師の誇りで耐えるべきことの範疇外だと、私は思うのです。

これは労働者としての、人としての権利の侵害です。権利の侵害に対しては、寧ろ耐えてはいけないとさえ思います。そうでないと、せっかく先人たちの弛まぬ努力により手に入れた権利が有名無実なものに化す恐れがあるからです。通常、権利の侵害が起これば、被害者はボイコットやストライキなどの手段に訴え、加害者に不利益を被らせることで、自己の権利を守ることが出来ます。しかし、今回の場合、教師が辞めたら、不利益を被るのは行政ではなく、現場の教師や、児童生徒なのです。今回の理不尽を断行した行政は安全圏にいて、何も悪いことをしていない同僚の教師や子供が不利益を受ける構図を生み出すことで、教師を辞められないように縛り付けました。繰り返しになりますが、これは行政が同僚の教師や子供たちを人質にとったのと同じことです。そして、それでも辞めた教員に対し、行政は自らが加害者であることを棚に上げ(そのこと自体に気がついていないのかもしれない)、「無責任」との非難を浴びせたのです。これが卑怯でなくてなんですか? どうしてこの状況で、教員を加害者扱いして非難できるんですか?

改めて言いますが、今回の加害者は教師ではなく行政です。そして、この問題は、民間とか公務員とかは一切関係ありません。教師や人々は何に憤っているのか、真の加害者は誰なのか。私は、今回の件を単に一部地方の教師の問題として捉えるのではなく、自分の身にも起こりうる権利の侵害、理不尽の問題として捉えるべきだと思うわけです。

本来マンガブログにも関わらず、今回の記事をツイッター、facebook、コメント欄などでご支援くださった方々には、改めてお礼申し上げます。今後も『MANGA王国ジパング』をよろしくお願いします。

==さらなる追記==

今回の件を調べていたら、今日こんな記事がありました。私には、信じられないほど思慮に欠けた陳腐な内容に思えました。公を大切にするのは当然としても、そのために今回のような理不尽に耐えることを強いるとは、まさに「滅私奉公」でしょう。21世紀の現代に、こんな主張をする人がいるとは。まして、それが産経新聞という大きな新聞の記事になるとは。

『武士道』を取り上げていますが、武士は特権階級ですが、公務員は単なる一般の人間だということを理解しているのでしょうか。こういう人間がいる限り、こういう人間がマスコミで堂々と発言する限り、日本から理不尽は払拭されないのでしょうね。


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